こんにちは〜!
3人子育て&現在第4子妊娠中のO−DAN★GO!です!
今日は、『切迫早産』の診断を受けて『入院』したときのお話を書きたいと思います。
切迫早産と診断を受けた方や、自宅安静・入院になりそう〜と不安に思っている方。すごく心配だし不安ですよね。
「おなかの子は大丈夫なのか」「もし早く生まれてきてしまったらどうなるのかな」などいろんなことを考えてしまうかと思います。
私もその一人でした。
初めての妊娠ということもあり『私のおなかの中でもう一つの命が育まれている』ということはすごく嬉しいことであり、同時に『切迫早産』という現実にとても不安な妊娠後期を過ごしていました。
『切迫早産』と診断を受けて入院はしましたが、なんとか赤ちゃんがおなかの中に留まってくれて37週で出産することになりました。
どうして切迫早産となったのか、入院に至るまではどのような経過だったのかなど、不安に思っているママの参考にして頂けたらなと思います。
妊娠発覚までの経過
彼とはお互いに一人暮らしをしていたため半同棲生活を送っていました。
2人ともお酒が大好きなためお仕事帰りに居酒屋へ行くことになったのですが、なぜかその日を境にお酒が進まない!進まない!
お酒がおいしく感じられなくなってから1ヶ月経過。
”アレ?しばらく生理が来てない!?”と思い振り返ってみると最終生理日が7月1日。現在10月中旬。
元々生理不順であったためあまり気に止めていなかったのですが、”流石に3ヶ月生理がないのはおかしい”!!と思い妊娠検査薬をすると『陽性』反応が!!!!!
嬉しい感情と”親になれるのかな”という不安でいっぱいでした。
妊娠発覚から切迫早産と診断を受けるまで
主人と一緒に初めての産婦人科受診の日。
まずは経膣エコーで胎嚢や心拍を確認。
と思いきや・・・”すでに赤ちゃんの形をしているではないか〜!!”
『妊娠14週3日』と言われました。
そうです!『妊娠4ヶ月』です!!
すぐにおなかの上からのエコーも実施しました。
その時のエコー写真がこちらです。
わかりますか?^^;左側がお尻で右側が頭。うつ伏せのような体勢です。
その当時、夜勤ありのフルタイムでお仕事をしていた私。
妊娠初期はつわりで”気分が悪くなるとトイレへ駆け込む”という体調がすぐれない中でのお仕事は辛かったなと思います。
それから、妊娠7ヶ月の頃から『おなかの張り』を自覚するようになりました。
妊婦検診5回目。妊娠28週4日(妊娠8ヶ月)に『頚管長が25mmより短くなっている』『おなかの張りがある』とのことで『切迫早産』と診断を受けて張り止めの内服薬(リトドリン5mg 3錠/分3)をもらいながらお仕事を続けることに。
☆ここで無理せず”お仕事の休みを増やしてもらう”とか”夜勤を免除してもらう”とか上司に相談しておいたら、もしかしたら入院は間逃れたかもしれません(>_<)今お仕事をして『切迫早産』と診断を受けた方は、今すぐにお仕事をお休みすることをおすすめします!!
※私が通っていたのは個人病院で『頚管長20mmより短くなれば入院』という産院でした。病院によって入院の条件は異なるため、現在通院中の方は通っている産院へ入院の条件などを確認してみてくださいね!
『切迫早産』と診断を受けて入院に至るまで
妊娠31週2日(8ヶ月)。
『切迫早産』と診断を受けてから張り止めの内服薬を服用していたのですが、『おなかの張りがおさまらない』ということと『頚管長がなかなか伸びない』ということを先生がおっしゃっていました。
そしてついに、前回の妊婦検診から約3週間後『切迫早産のため入院』となりました。
入院となった確定的なことは、❶頚管長が20mm❷おなかの張り❸エラスターゼ陽性
この3つが入院となった要因です。
入院中の生活
内服薬から点滴へ変更
これまでリトドリン内服薬5mg 3錠/分3だったのが、
入院したと同時にリトドリン内服薬5mg 8錠/分4となり、朝食後・昼食後・夕食後・寝る前の1日に4回飲まなければならなくなりました(>_<)
この薬って飲んだことがある方はよくわかると思うのですが、副作用がすごいんです!手は震えるため書類にサインをするのも一苦労。胸がドキドキして脈は早くなるし、呼吸も荒くなり苦しいのです!
時には膣から出血する方もいます(>_<)
”自宅で飲んでいた時の量よりも倍の量を飲まないといけない”ということに恐怖でした。副作用が強いと助産師や医師へも話をしていたのですが、”治療のためやらないわけにはいかない”とのことでした・・・。
それでもおなかの張りがよくならず頚管長も短くなる一方・・・・。
とうとう点滴へ変更となりました。
点滴は3日に1回、注射針を交換しないといけない産院だったのですが、私の場合は3日間持たず2日で血管の外に漏れてしまうためその度に針交換・・・。
両腕はいろんな所が青くなり、刺すところがなくなるくらい・・・。
挙げ句の果てには、「この血管どう思います?」「ここだったらイケると思います?」と看護師から聞かれる始末。(職業柄、私も注射を打つことができます)
点滴や注射をされるのって苦手なんです。チクッと刺されるのも痛いし、その後血管の外に漏れた場合にはものすごく痛いじゃないですか!?
☆私が採血や点滴のために注射をするときには「私、失敗しないので!」と一言言ってやるようにしていますよ!(大門未知子風〜)
お部屋について
入院したお部屋は4人1部屋の大部屋です。
入院当初は、トイレ以外の動くことが制限されていたため病室内のみの歩行でした。病室内といっても、ほぼ個室状態で部屋に1人1つずつ洗面がついているので歩く距離は1mもないくらい。
もちろんシャワーは禁止です!
食事の配膳と下膳もスタッフの方が毎食運んでくれて、洋服(病衣)やタオル類は毎日交換してお部屋まで持ってきてくれるし、掃除ももちろん毎日してくれます。
至れり尽くせりです。快適に過ごせましたよ!
ただ、寂しさは入院生活が長くなるにつれて増していくばかり・・・。
入院生活であってよかったもの
急遽入院することになったため何も準備していなかった私。
入院後に主人へお願いし必要なものを持ってきてもらうことにしました。
その中でも、iPad・マンガ・イヤホンはあってすごくよかったな〜と思います。部屋にテレビはついているのですが、大部屋のため音量って気になるじゃないですか〜(>_<)
隣からテレビの音が聞こえた時には”もしかして私のテレビの音量も聞こえてるの!?”とドキドキしたり、洗面の音も気になってきたり・・・。
生活音って気になるもんですね!
安静について
入院当初はトイレ以外は動くことができなかったため、ほとんどベッドの上で過ごしていました。
約1週間ほど経ってからシャワーの許可が降りて、外来にも歩いていけるようになり、気分転換で多目的広場のようなベランダへ出ることができ、徐々に活動範囲が広がっていきました。
そんな生活を約2週間。
”赤ちゃんが生まれる前に入籍しよう”ということで医師へお願いして退院することになります!!
そして出産まで自宅安静の日々が始まろうとしていました。が・・・!!!
3日後の妊婦検診で再入院となります。
再入院となった理由
退院が決まった翌日。
入籍の書類提出のために市役所へ行ったり名義変更のために銀行へ行ったり、免許証を切り替えたり・・・・。忙しい手続きに追われながらも、久しぶりに外の世界へ出たため外食したり、充実した日々を楽しんでいました!
そして3日後に妊婦検診へ。
案の定再入院となりました。
そうです!たくさん歩いて自宅安静を守らなかった結果です。。。それから37週0日まで入院することになります。ここからが本格的な入院生活の始まりです。
約2週間のベッド上生活。シャワー禁止。歩行禁止。前回の入院よりも厳しめです。
朝と夕方にNST(ノンストレステスト)を30分やります。その間でおなかの張りがあれば10分追加。毎日繰り返されます。
2回目の入院も大部屋だったのですが、同室の方達は次々と退院され、少しづつメンタルがやられていく私。
それに気づいた助産師さんがさりげなく話を聞いてくれたり、たわいもない会話をして気を紛らわしてくれたり・・・。どうにか入院生活を送ることに。
安静が解除された約2週間後には、助産師さんと医師のお気遣いで個室へ移してくれました。本来であれば個室は出産した方が使用する部屋となっています。
トイレやシャワーなど全てが整っており、『これからは生活音も気にしなくて良い!!』と考えると涙が出るほど嬉しかったです。
ベッド上安静・点滴・針の差し替えなどたくさんの苦痛がありましたが、37週0日を迎えてやっと退院です!!!
その後はと言いますと、自宅退院してからすぐ出産することになります・・・。
↓初めての出産のお話はこちら↓
おわり
私が通っていた産院は個人病院のためNICUのような赤ちゃんを高度な医療で治療する場所がありません。そのため、正期産と言われる37週を越えないと産院で赤ちゃんを生むことができないのです。
37週以前の出産であれば転院するしかないのです!
それでもこの産院で産みたかったのには理由は・・・その話もまた後ほど〜♪
私と同じ境遇になったママ!少しは参考になりましたか〜?ママの身体が1番です。無理をしないで休むことも立派なママのお仕事なのです(*^^*)
最後までご覧いただきありがとうございました!